Home > 症状別施術法 > からだの要求と意識の要求(好転反応について)

からだの要求と意識の要求(好転反応について)

からだの要求が、大切

からだの要求とは、無意識の領域をふくめた全人的な治癒力を発揮する、原初的な欲求をいいます。
そして意識の要求とは、ニンゲンが意識する、症状に対する嫌悪感とそれを消したいという表層部分での欲求をいいます。

意識の要求、からだの要求、双方ともに快復したいということに変わりはありません。
しかしながらともすれば意識の要求というのは、ただ症状だけをどうにかしたいという方へ向きがちです。

たとえば悪いのものを食べて嘔吐するとき、苦しいからといってこれを止めてもよいでしょうか。
細菌を白血球たちが攻撃して熱が出ようとしているのに、これを抑えてしまってよいのでしょうか。
いずれも止めてしまえば、悪いものはからだに残ります。

「苦しいから止めたい」、これは意識の要求です。
「悪いものを排泄したい」これがからだの要求です。

もちろん、このふたつが合致することも多いです。
からだに歪みがあって、腰痛など痛みを発している、この場合調整をすることで痛みもなくなり、からだもよくなることもあります。

しかし古い問題が内攻(潜伏)している場合、いったんはなにかしらの症状を排出してからでなければ快復に向かわないこともあります。

たとえばよく、力でムリやり骨を動かされて悪化したという方が愉和にお見えになります。
それはからだの状況を無視した矯正をしたため、毀されてしまったわけです。
これを好転反応とはいいません。

また、マッサージなどで外部から強制的に力でもみほぐされたあとに起こるだるさなども、自律的なからだの反応ではありませんから、これもまた好転反応というには疑問が残ります。

ところが私の操法は、物理的には手を当てているだけです。
からだの反応にしたがうように流し、つっかえをほどいていく作業の他ではありません。
もっといいますと、からだの反応を感じながら、その要求のままに手を当てていくだけですから、そのからだが自働的に変化するのを見届けているに過ぎません。

もしもそのからだにとって必要があればの話ですが、過敏な感じになったり下痢をしたり古傷など(意外と思いがけない箇所であったりします)が痛んだり、からだが鈍っていれば、熱が出ることだってあります。
しかしそれは、ホントの意味での大本からの自律的調整なのです。

*******

なかには、症状をどれだけ早くに消すことができるかをウデと勘違いしている整体処もあるようですが、これは浅はかと言うしかありません。
作為的に症状をコントロールしようとしますと、やっかいな反動が起こってしまう可能性もあります。

からだによっては、まずは破壊をおこない、そしてあらためて建設をおこなう必要のあるケースもあるということです。

実際のところ、ごくまれにですが、新たな症状が出て、それがなかなか治まらないケースもなくはありません。
そうなりますと、「整体を受けて悪化した」という心持ちになってしまうかもしれません。
しかしこれは本当は、「悪いものを(できるだけ早いうちに)表に出した」ということなのです。

悪いものを出さなければ、当面の日常的にさほどの不具合は出ないかもしれません、しかし出さないということは、悪いものをより内攻させ、より大きく育ててしまうことになってしまいます
そしていつか、大きくなってから表に出るときは、症状もより大きく、よりのっぴきならない状態になって出る、ということなのです。

たとえて言えば、借金を重ねて負債が大きくなっているところに、さらに別の借金をさせていっときラクにさせるのではなく、きちんと返済をするために働こうとさせる作業といってよいでしょう。

それはもしかしたら、ちょいとシンドイことかもしれません。
しかし、からだの自己破産はなんとしても避けねばなりません

どのような手法でも、自然の法則の流れのなかでおこなうものであれば(力に頼るようなものではないでしょう)、操法後になにかしらの症状が起こった場合、「これはからだがバランスを取ろうとしている(好転)反応なのだ」ということに思い至っていただきたい。

なかには1、2回で早まった判断をされ、操法を中止してしまう方がおられます。
私よりもその方にとって残念ですが、これもご縁でしょうか。
ただ、その方にとって本当に快復する機会を失ってしまったのではないかということを思いますと、やはり無念な感慨は残ります。

先にも述べましたように、意識の要求は、ただ症状を悪いものとしてみなしてそれだけをどうにかしようとしますが、からだの要求は、大本からよくなるために内攻した(潜伏した)問題をまず表に出そうとすることが必要と判断することがあり、その結果が、いわゆる本当の「好転反応」です。

内攻した病気や症状などは、これを超えるか否かで大きく変わってきます

症例

頭部に打撲があって凹みがあり、長年頭痛、胸の痛み、消化器方面の不調のあったYさん。

おそら頭蓋骨への衝撃により、後頭骨が左右でアンバランスにこわばっており、それが首筋を引っぱって頭部はもとより、首や肩、肋骨までにテンションをかけていたようです。
で、肋骨がこわばると胃にも制限がかかり、うまく機能できなくなりますから、不調の連鎖が続いていたというふうに見立てができます。

この調整をするには、やはりまず頭蓋骨からでしょう。
アンバランスなまま固定していた頭蓋骨に弾力をつけ、凹んでいて冷たくなっていた箇所に流れがつくように操法していきました。

そうしたところ、操法をおこなったその日の夜、Yさんは頭が痛くなったと言います。
次の日には抜けたのですが、2回目の操法をおこなったその日は、初回のときよりももっと痛くなり、いわゆる「割れるような・・」という感じだったらしいのです。
そういうお話を聞きますと、私もちょっぴり不安になりますが、やはりそれも次の日にはスッと抜けてスッキリしたそうです。

いまはYさんは以前とはうってかわって調子がよいとのことですので私もホッとしましたが、からだの状態によってはいちどはバランスを壊して新たに生来のバランスに戻す反応を起こす際は、やはり過敏な症状を排出する必要もあるのだと、あらためて実感した次第でした。

他にも、幼い頃からの吐き気に悩まされてきた方で、それが快復していく過程で、しばらく下痢が続いたりしたことがありました。

このような、いわゆる好転反応ですが、Yさんのように1日で抜けることもあれば、からだの状態によっては数日から一週間、あるいはもっとしばらく続くこともあるかもしれません。
ともかくも、からだが快復するためにもっとも適った反応を出すにまかせること、これが改善の早道であることは間違いはないでしょう。

横浜 東戸塚 整体 愉和 清水