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ここでは愉和の清水がテーマに沿ってお話していきます。
『手技療法で毀されないために』
手技療法へ行って、かえって悪化するということをよく聞きます。
これは全体、どういうことなのでしょう。
誰も、毀そうとして毀しているわけではない・・、ハズですよね。
よくなってもらおう、喜んでもらおうと思っているはずなのです。
それなのに、なぜ毀すのか・・
どうも、自然の法則にのっとっていない、つまり、不自然なことをして治そうとしている所が多いのではないかということを感じるのです。
大まかに言って、療法には「逆療法」と「順療法」があると思っています。
たとえば西洋医学は、熱を下げる、症状を抑える、数値を抑えるということなどで、逆療法の代表格でしょう。
手技療法におきましても、コッているからそこをほぐす、ズレている骨があるからそれを衝撃を与えることによって戻すというのは、まさに逆療法です。
発症した症状、発現したコリや歪みに対して、反対の作用を及ぼそうという行為をするわけですから、「逆」以外のなにものでもありません。
要は、必要があってコッたり歪んだりしているのに、なぜ必要になったかを検証することなしに、からだの声を無視して、形だけを整えようとするわけです。
弾力のあるからだであれば、それでよくなってしまうこともありますが、逆に上手いと言われる先生がやっても、いっぱいいっぱいのからだであれば当然、症状が強くなったり悪化したりします。
ですから、巷には「なぜ同じような症状に、同じような施術をしてよくなったり悪くなったりするのか」と、悩んでいる方は多いのではないでしょうか。
たとえばの話ですが、つっかえ棒のかかった引き戸を開けるとき、どうにかして力まかせに開けようとするのが逆療法と言えるかもしれません。
ですから多くの労力を必要とし、衝撃を必要とするわけです。
もともと丈夫なつくりだったら、それでも開けばなんとかなるでしょうけれど、弱くなった引き戸だったら、もしかしたら壊れるかもしれません・・
逆に、「順療法」とは、そのつっかえ棒をはずすような手法といえるでしょう。
むしろつっかえ棒をはずしやすくするために、いったんは開けるよりも、さらに閉じることの方が多いと言えましょう。
うまい具合に角度をとっていくと、スムーズに棒をはずせることができ、しかも戸を傷めません。
すべてにムリ、ムダがなく、スムーズです。
ところがいろいろお話をうかがいますと、多くの治療院は逆療法のようです。
「毀された」ということでお越しになる方が、実は多いのです。
ここまでやるか、などというようなこともあります。
私なりに考えたのですけど、これはなぜかというと、たぶん形にあらわれたものにアプローチする方法しか養成所では教えてないし、教わる方もそれしか学んでいないのではないでしょうか。
その方がマニュアルにもしやすく、症状によってテクニックを使い分ければ、教えるのも学ぶのもラクです。
もちろんこのような技術でよくなるほど、単純な症状はなかなかないでしょうけれども・・
で、なかなかよくならないから、ついついにムリをしてしまう・・
逆に、順療法ですと、コリや歪みなどの、形にあらわれる以前の大本のバランスにアプローチし、目には見えない「勢い」や「流れ」を感じ、つかまえます。
硬結も、流れの滞りですから、非常に微妙で微細なものも捉えることが重要になります。
つまり、いかにつっかえ棒をはずす角度や流れを見つけるか、という作業が必要になってくるわけです。
それを確実におこなうためには、額に汗して懸命にやるのではなく、むしろ息を乱さず、非常に精妙な感触を確かめることのできる、ある意味瞑想ともいえるような明鏡止水の境地に居なくてはなりません。
それは集中しつつ、かつ安らいでいる状態といってもよいかもしれません。
このような地平で施術をおこなっているところであれば、毀されることもなく、快復のスピードは、逆療法とは比較にならないくらいに早いと断言できましょう。
もしもHPがあれば、それをしっかり読んでみることです。
特別な知識などなくても、「順療法」か「逆療法」かは読めばわかるハズです。これで、最大限危険を回避することができます。
そして、施術の立処(心構え)が真摯なものであるか、文章の行間からにじみ出ているはずです。