一般に、治すのが難しいのが難症と呼ばれていますよネ。
では「治る」とは一体、なにを指して「治った」と判断するのでしょうか?
言葉を替えますと、「治った」とはどのような状態を言うのでしょうか?
通常は、症状がなくなった時点をもって「治った」というようです。
難症は、症状がなかなかなくならないものと言ってさしつかえないのかもしれません。
ところが症状とは、「必要があって起こっているもの」と「毀れて機能が衰退しているもの」とに別れます。
まずはそれを見極めることが大切で、なんでもかんでも症状を止めればよいというものではありません。
いずれにしても、症状が容易に改善しない状態というのはしばしばあるようですし、それを難病とか難症とか位置づけているのではないでしょうか。
ところが私が思う難症というのは、そういうのとはチョット違います。
手指でからだを確認し、解読していった結果、原因が複雑になればなるほど、また古くなればなるほど、こじれればこじれるほど厄介になっていくという感じです。
症状が大きいとか小さいというのは、難度とはあまり関係がないといってよいでしょう。
なんていうことのない腰痛のように思えても、経緯をたどっていっても途切れがちになっていたりしますと、これは意外と厄介だったりします。
ところが、いわゆる世間で難病や難症と言われるものであっても、病院でも手技療法でもどこへ行ってもよくならないというものであっても、その成り立ちが読めるものであれば、スッとよくなっていったりします。
たとえばぜんそくにしてもヘルニアにしてもメニエールにしても、解読していって「ココだ!」というものが明確にあった場合、難儀することはあまりありません。
病名や一般的な治療法に惑わされることなく、ていねいにからだを探っていきますと、どの箇所を変えてゆけばよいかが見えてくることも多いのです。
たとえそれが世間では「難しい」と言われていても、難症ではありません。
たとえば若干の例ですが挙げてみますと、
ぜんそくの原因が鎖骨(さこつ)や肋骨(ろっこつ)のズレにあり、それらを歪ませている大本が恥骨の歪みであった場合、ヘルニアがお腹の固くなった箇所によって腰椎(ようつい)や仙骨が引っ張られていた結果であった場合、メニエール病の原因が胸の詰まりにあって、それが背中の脊椎を固くさせ、頭部への血流を阻んでいて三半規管に栄養がゆきわたらなかった場合などなど・・
これらが読めれば、思いのほか早くによくなります。
つまり、私にとっては単純系で難しくありません。
症状名や病名に限らず、複雑系になっていて目くらましが多かったり、こじれて内攻していて読みにくかったりする、これこそが難症というもので、表に表れた症状だけを見ていても、ほとんど意味はないのです。
横浜市戸塚区 整体 愉和 清水