よく、操法が終わったあと、
「いやァ、〇〇が軽くなりましたヨ~、年だと思ってあきらめてたんですけどネ~・・」
というようなお話を聞きます。
そりゃァ、年を取れば各器官が衰えていくのは自然の理(ことわり)ではあります。
でも、操法をしてよくなるということは、機能が衰えて回復不能の状態になっているワケではないということを意味します。
年を経ていって不具合が出たり、あるいは立派な病名がついたりするのは、ホントはかなりの範囲において意外と防げるものなのではないか、日々最前線で施術をしている私は、そのように実感するのです。
たとえばしんどい症状であったり、あるいは内科疾患であったり、それが発出する臨界点が10だとします。
若いうちは構造的な歪(ひず)みが2~3かもしれません。
これだったら、5のストレスがかかっても臨界点は超えず、しばしすればまた2~3に戻るでしょう。
しかし仮に中高年になってきて4~5の状態になってきますと、それが徐々に危なくなってきます。
仮に4のストレスがかかったとしても大丈夫ですが、それより大きくなりますとアウトになってしまいます。
でも、5のストレスというのはなかなかないのかもしれません。
ただしこれがいつ、どのように来るかはわかりません。
そしてさらに、これが7~8の状態になってしまったらどうでしょう。
2~3のストレスでいともやすやすと10の臨界点を超え、いろいろな問題がさまざまに花開いてしまうことでしょう。
実際、そのようになってから見える方は確かに多い。
大勢がそうだと言ってよいでしょう、でもそれはもちろん、致し方のないことではあります。
ただ、できればそこまで行ってほしくない。
では一体、なにが構造的な歪(ひず)みを増幅させてゆくのでしょう?
もちろんのこと、「高齢化による衰え」というのもひとつはあるでしょう。
しかしご案内のように、施術をすると思わぬところがよくなるというケースが後を絶たないワケです。
つまりそれは、「高齢化」という原因だけでは説明できない原因が内包されていると考えるのが自然です。
答えはズバリ、メインは「古傷」にあります。
昔の骨折や打撲、突き指や事故等がテンションを発し、その歪みをより大きく、また深く問題を内攻させてゆくのです。
そして結果、けっこうな病名を拝領ということになってしまったりすることもあるわけです。
繰り返しになりますが、できることであればその前にいらしていただける方が望ましい。
そのように厄介になり切るまでに、できるだけ早期にどうにかしたいというというところが本心なのです。
非常にざっくりとした表現ですが、「過去に衝撃を受けた古傷によって残っているこわばりをほどくこと」の他ではありません。
「愉和」における「未病を治す」とは、病気一歩手前の状態を「前倒しをして」治療するということとは明確に違います。
なぜならば、発出した症状や病気を、外部から作為的に操作して「治す」ことは一切おこなう必要はないからです。
どういうことか?
つまり大本の古傷のこわばりがほどけることによって構造的な歪みの数値がおのずと小さくなり、それによってご本人自身の力によって自然に、言わば勝手にからだが「治る」ようになるからです。
言い方を換えれば、「最大限、症状や病気が起こる必要がなくなってゆく」ということになります。
望ましいのは、未病のうちに月に1回くらいでも、操法を継続してお受けになるということです。
ただこれも、ザンネンながら私はからだをひとつしか持ち合わせておりませんので、多くの方を拝見することは叶いませんが・・
横浜 東戸塚 整体 愉和 清水