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プロフィール

フィフティーズ最後の年の1959年、4月19日生まれ。
蕨で生まれ、横浜で育ちました。
血液型はAB型で無宗教です。

幼少期より、自分でも理由がわからないのですが、音楽がとても好きでした。
どんなに辛くて苦しくても、たとえ救いがないように思えても、音楽を聴くと、少しだけ幸せな気持ちになります。
音楽がなかったらこれまで生きてこれなかったかもしれず、またこれからも、生きてはいけないかもしれません。

青年期には文学や思想に傾倒し、生きる意味を模索しました。
また名曲喫茶やジャズ喫茶に入り浸り、遥か彼方の世界に思いを馳せたりもしました。
渋谷のジャズ喫茶の草分けである「スヰング」のマスターに可愛がってもらったことも。

稀代のヴォーカリスト、ジョー山中さんのライブに毎月通ったり、また天才人形師の天野可淡さんとも交流を持ち、毎回個展にはうかがったりしていました。
他にアングラの芝居も、よく観に行ったりもしました。

オートバイ歴は、20年ほど。
オンロード、オフロード、ガレ場、雪道にアイスバーンとどこでも走ってきました。
山のなかで小さな火を焚いて酒を呑み、そのまま野宿したりもしていました。

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そんなあるとき、母親に六十代半ばでいきなり逝かれてしまいます。
もちろん世の中にはもっと早い方もありますし、いわゆる夭折とも言えませんが、ただやはり遺族としては早すぎるという念を拭い切ることはできません。

親孝行をずっと棚上げしてきた私は慚愧の念に堪え難く、場をはばかることも叶わずに慟哭の涙を流しました。
30代後半に差し掛かった頃でした。

それからは、あたかも何かにせき立てられるかのように、さまざまな療術を広く研究するようになりました。
その結果、最終的に「野口整体」と「操体法」という生体を信頼する療法にたどり着き、勉強を幾重にも重ねることになります。

そして2004年に開業をするはこびとなり、日々必死になって整体に取り組み、さまざまに研鑽を重ねました。

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いま、多くのおからだを拝見してきてわかったことがふたつ、あります。
ややもするとそれは、常識とはかけ離れているように思えるかもしれません。

ひとつは、症状や病気の出ている場所、そこには実は本当の原因はなく、本丸(黒幕)は患部からは離れたところにあること、そしてその正体は古傷(昔の打撲や骨折、または産まれるときの難産、鉗子・吸引分娩など)であることが多く、しかもその本丸である場所自体には特段の違和感を感じることはあまりないこと。
いまひとつは、施術に際してはBODYへの刺激はできるだけ少ない方が操法は通りやすいこと。

現在つとに思うのは、からだは「治すもの」ではなく、「治るもの」だということです。
治すためにからだに刺激を与えたり、切った貼ったを加えたり等いじくるのはできるだけ避けた方がよいと、つとに思うところです。
かくて、ほとんど手もふれない施術法ができあがり、これを愉和法と名づけるに至りました。

これまで肩こりや腰痛、椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症をはじめとして各内科疾患、鼻炎、ぜんそくなどアレルギー症状、自己免疫疾患、原因不明の疾患、難病(クローン病や潰瘍性大腸炎など)にいたるまでを癒してきました。

現在、さらなる自然の法則の深淵にたどり着くべく日々操法に精進し、併せて愉和法を未来に残すための教室も開催しています。


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